古代スパルタはペロポネソス半島の南部・中央部に位置していた。 この位置は防衛と農業の両面で有利であった。 三方を山に囲まれ、他の軍隊が通ることができる峠を支配することができたので、スパルタは実用的な要塞となった。

  • 西はタイゲトス山脈がスパルタに接していた
  • 東はパルノン山脈が接していた
  • 北は標高1000メートル級の丘陵地
  • 4面は山には面していない
  • スパルタの防御は山がないことであった。 そして、自然の壁には守られていなかったが、最も近いところで27マイル離れた海に面していた
  • これらの要因によって、スパルタは外国の侵略者に対する自然な境界を得た。 スパルタは海港を持っていたが、地中海からの距離と荒天のため、スパルタの海軍能力は低下した。 しかし、欠点があるにせよ、これらの要因によってスパルタは古代の基準からすると極めてよく保護され、要塞化された文明となったのである。
    スパルタを地理的に助けたもう一つの要因は、エブロタス川の近くに位置していたことである。 82kmに及ぶこの川はラコニアにとって作物の栄養と新鮮な水の主な供給源であった。 スパルタはこの川の左岸に位置し、必要に応じて侵略者を阻止するために中央の橋が架かっていた。 スパルタの気候は温暖で非常に乾燥していたため、エブロタスのような河川はスパルタの生存と成功に不可欠なものであった。 エブロタスはスパルタに水源と防御を提供しただけでなく、小麦、大麦、全粒穀物など多くの種類の作物を栽培するための非常に肥沃な土壌を提供した。
    スパルタの地理的位置には長所と短所があったが、戦略的に配置されたスパルタの位置がなければ、我々が記憶するような軍事大国にはならなかったことは否定しようのない事実である。 スパルタは地質的な要因によって保護され、養われたが、他の国や文明から孤立し、他の文明に比べて技術的な進歩が足りなかった。 その一例がスパルタの海軍である。 アテネなど他の文明が海軍の能力を持ち、実際に必要としていたのに対し、スパルタは最も近い海港が27マイルも離れており、それほど利用されていなかった。 このためスパルタの海軍は発展せず、後年のアテネとの対立で大きな代償を払うことになった。
    スパルタは軍事的に優れた文明であり、そのことは最もよく知られている。 しかし、スパルタがこれほど成功するのに役立ったものは他にもたくさんあり、そのひとつがその地理的条件であった。 保護からエブロタス川沿いの位置まで、スパルタは顕著で多様な地理的地位を持っていた。 文明の成功にはさまざまな要因があるが、文明の地勢ほど貢献するものはないのである。